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日々の日記
by HSOgolgo
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二日酔いの後の花見。
日曜日の夜には
ローングライドjr.さんやユンファさんらが来て
遅くまで飲みまして、二日酔い。

朝起きて、皆でお風呂屋へ。
強制的にリセットして
そのまま皆でハーレー店へ。
(カレー屋じゃありませぬ・・・笑)

散々笑い話をした後で解散して
その後は子供達と近所の花見スポットへ。

まずは、次女が保育園での遠足で捕ってきた
おたまじゃくしを放すために
土曜日に来た伊佐沼近くにある公園へ。

ここは夏にはBBQをやる会場であります。
8月11日(月)にやる予定であります(笑)

桜咲きみだれる公園へ。
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ここは、「冒険の森」という公園。
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ここは市の公園なんですけど
駐車場は無料だし、出店も一軒だけしかでてません。
また芝生エリアも大きく
アスレチックエリアも大きいのです。

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なんと、ここは直火でなければBBQがOK。
今日は雨上がりの為に見かけませんでしたが
季節を問わず、天気の良い日はチラホラと見かけます

そして、公園脇の河へおたまじゃくしを放流、
春だねぇ。
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そして、公園を後にして僕の好きな三芳野神社へ。
二日酔いの後の花見。_b0042248_21325910.jpg

ここは童謡「とうりゃんせ」の発祥の神社。

以前日記でも書きましたが
その記事の抜粋を下記に。


「とうりゃんせ」

    とおりゃんせ、とおりゃんせ 
    ここはどこのほそみちじゃ 
    天神さまの細道じゃ 
    ちょっととおしてくだしゃんせ
    御用のないものとおしゃせぬ
    この子の七つのお祝いに
    お札をおさめにまいります
    行きはよいよい 帰りはこわい
    こわいながらも
    とおりゃんせ、とおりゃんせ

「行きはよいよい 帰りはこわい」
・・・・別に新宿の飲み屋の話ではありません(汗)

以前、この街の歴史を専門に調べられているお客様に
この歌の意味をお聞きした事があります。

不思議な歌ですものね。
自分も気になっていたのでお聞きしたんです。

まずは神社についてですけど
この三芳野神社は当時
この地を治めていた川越城の敷地内にあった
天神様を祭った神社です。

まずは川越城ですが上杉氏が足利氏の勢力に
対抗する目的で1457年に築かれたお城です。

その後、小田原から勢力を増した北条氏が、
上杉氏を破りこのお城を奪うわけです。

そして、城を奪還すべく上杉氏他の連合軍8万人が
城を納めた8千人の北条軍に戦いを挑むも
10倍もの軍勢を打ち破った北条軍が
関東での勢力を決定的とするわけですね。

この時の戦いは「川越夜戦」(東明寺合戦)とよばれ
織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦い、
毛利元就が陶晴賢を破った厳島の戦いと共に
日本三大夜戦、または日本三大奇襲戦とよばれています

その後、北条氏が滅亡し
徳川家康が関東を制すると、この城は徳川のものとなります。

川越城は、初雁城などという別名ももち
城の鎮守でもある三芳野神社の大杉に初雁がかならず
この木にとまった・・という云われもありますね。

現在の川越城は「本丸御殿」の入り口を
残すのみで、当時の面影は殆どありません。

お城の本丸が残っているのは珍しいみたいですね。
ここは市でも改修工事するみたいです。

そんな川越城の鎮守でもある三芳野神社。

三芳野神社は川越城の鎮守であり
城内にある為に、庶民の人々は
もちろんお参りができなかったそうです。
(庶民は初参りだけお参りができたという説もアリ)

ただ1つだけ例外があったそうです。

それは「節句」の時です。

歌にもでてきますが「七つのおいわい」とは
節句の事だそうで、当時は7歳になると
節句を迎えて、子供(童)から成人という
お祝いの節目だったようなんです。

いまでいうと成人式ですね。

その大事な節句の時だけは
城内にある三芳野神社に
お札を納める事が特別に許されたのだとか。

ですから、
「御用のないものとうしゃせぬ」と言っていた
城の門番も中へ親子を通してくれたんでしょうね。

そして、三芳野神社の細道を通り
お札を納めて7歳の節句を迎えるわけですが
ここから、親に連れて来られた子供は
成人として世にでていくわけです。

「行きはよいよい 帰りはこわい」

これは

来る時(行き)はまだ子供(童)なので「よい」けども
帰る時は、節句の祝いを受け成人となる。

そして成人となるという事は
親から独り立ちをして
色々な事がある社会に
でていくという事なんだよ・・
つまり成人として気を引き締めろ・・・という事が
「こわい」として歌っているのだそうです。

つまり
来る時(行き)はまだ子供(童)なので「よい」けども
帰る時は、節句の祝いを受けた成人なので「こわい」となる。

 こわいながらも
 とおりゃんせ、とおりゃんせ

これは、別に脅している訳ではないのです。

「ここから成人として責任ある社会人になるだろうけど、
ここをとおりなさい、そして頑張って生きていきなさい」

と成長した子供を温かく「頑張れ」と社会に送り出す歌なんですね。

この細道を沢山の子供が親に連れられて通り
そして、大人になっていったんです。

奉公とかだされて
一人前の社会人として暮らしたりしたんでしょうね。

色々な説があるんだけど・・・とお客様は
おっしゃっておりましたが、
「この歌は成人になる子の背中を押して
送り出す歌なんですよ」と云われております。

自分的には、この解釈が凄く温かくて好きなのです。

社会の厳しさを言いながらも、大人(社会)が
成長していく子供たちを温かく見守っている・・
そんな感じが伝わってきます。

ね、すてきな歌ですよね。
僕はここが大好きなんです。

この写真の細道を
童謡のモデルになった親子が歩いたのでしょうね。
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それにしても、良い天気になりました。

明日は早起きして鉄馬で出かけようかな。
by HSOgolgo | 2008-03-31 21:38 | このブログについて
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